心霊写真鑑定|真言宗[真浄寺]1000円でお焚き上げ|お祓い|供養|茨城|東京|神奈川|埼玉|千葉|栃木|群馬|関東、関西、東北、北海道、九州、全国一円からどうぞ。牛久市,取手市,龍ケ崎市,龍ヶ崎市,土浦市,阿見,つくば市,茨城県,茨城県南の心霊写真、心霊現象は、茨城県牛久市の真浄寺へご依頼ください


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心霊写真の「鑑定」と「お焚き上げ」、「お祓い」、
「祈祷」「除霊」は、
茨城県牛久市にある牛久成田山真浄寺へ。

心霊写真の鑑定料は、無料、又はお気持ちです。

心霊写真の供養、お焚き上げをご希望の場合の費用料金は、1000円、又はお気持ちです。


※携帯、スマホ、デジカメ等の場合は、メールに心霊画像を添付して、
送信していただいていも結構です。



電話番号:029-871-3210

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心霊写真の鑑定、お焚き上げ、供養、除霊、お祓い、心霊現象についての供養は、
真言密教 牛久成田山真浄寺 へ

心霊写真とは明らかに霊が写っている写真です。


写るはずのないものが写る、あるいは写るはずのものが写らないなどの写真には
心霊写真といえないものが多くあります。

この世とあの世にはつながりがあるため霊があらゆる場所に存在しているといわ
れます。

写真に写ることに不思議はないという説もある

霊にも10人10色で色々な霊があり人間と同様に感情や弱点欠点があったり、
写真に写りやすい霊があったりするといわれます。

人が死亡する瞬間、頭上に紐状の白いもやが写っているのを発見したり、死の直
前に入院患者の肉体からガス状の球体、頭上に紐状の白いものが写ったという話もあります。

心霊写真は人間の目には見えない不思議な霊エネルギ-により写ったものと思わ
れます。

霊魂を見ることができる人がいるとすれば特殊な能力を持った人です。


霊魂は人の体から出るエクトプラズムという物質を用いて写真に写って人の前に
姿を現すともいわれます。

心霊写真には偶然写ったもの、霊能者が呼び出した霊を写したものがあります。

墓地、水場、滝、死亡事故現場、自殺現場などは写りやすい場所いわれます。

心霊写真は科学的見地からはハレーション、フラッシュ反射など物理的原因であ
るとされます。

たとえば多重露出の場合もありますし、赤色が写った写真はレンズフレアである
ことが多いとされます。

近くに光源がある場合も不思議な写真が撮れる場合が多いものです。

心霊写真には、オーブというものが写ったものがあります。

科学的にはフラッシュの光が、空気中の水の粒やほこりの粒に反射し発生すると
されています。

そのため水分が多い場所、滝のそば、ほこりの浮遊している場所などでフラッシ
ュや明かりをつけて写真を撮ると心霊写真といわれるているオーブが写るとされま
す。

木の葉、石など自然物が心霊写真に見えることが多いです。


物体も人それぞれの見方によって人の顔に見えることもあります。


人間の脳は一般的に3つの点があれば顔と認識するとされます。


心霊写真はその撮影者や所有者に災いをもたらしたり、何かを訴えているという
方がいます。

肉眼で見えなかった霊がカメラの出現により写真を通して霊が見えるようになり
それを契機として霊能者と称す人が多数現れました。


霊魂は、肉体とは別に存在する。


これが、心霊写真として写真に現れる 霊魂は、肉体から離れたり、死後も存続

る。

肉体とは別の一つの実体をもつのが霊魂、魂である。

肉体という物質てき存在ではなく、目に見えない非物質的な存在が、魂、霊魂で
あり、心霊写真に現れる。

人間が生きている間は、脳の思考として目に見えないものとして、霊魂は存在す
る。

霊魂は、肉体とは、別に、一つの「実体」として存在する。

霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方がある。

人が死ぬと、肉体は消滅するが、意識、霊魂は残る。

霊魂の行き先は、地上にとどまる、他の生命体に乗り移る、宇宙へ拡散する、黄
泉の国のような霊魂の集まる場所があり、そこへ行く。

あるいは、生前の善行・悪行により、天国か地獄に送られる。

生前の善行悪行により、輪廻転生する。 生前の善行悪行により、六道輪廻す
る。

霊魂は不滅とされ、死者が、生き返る。

死後、転生するまでの期間である中陰時の亡者を霊魂と呼ぶ。

霊が存在するかどうかはわからない。

修行し解脱をした者は浄土へ行くことができる、などの説がある 言い伝えでは、
魂は、天に向かう魂、地の底に向かう魂、墓場に残る魂があるという。

霊魂は、災いをもたらす魂と、福をもたらす魂があるとされる。



意識というものが、人間本体と独立して存在し、それが、霊魂として、現れる可
能性がある。

意識は、素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持
っている。

生きている間、脳の中に意識として存在している。

体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。

体験者が蘇生した場合、意識は脳に戻る。

体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に戻るか、別の生命体と結び付いて生ま
れ変わる。

しかし、この説は、科学的に否定され、意識というものが、独立して存在 するこ
とはなく、脳が考えだしたものが意識であり、脳とともに存在するので、脳死すれば
、肉体としての人間、精神、意識も消滅するのである。

意識句が死とともに肉体から飛び出て霊として現れるという意味の限りでは、霊
は存在しない。



人が死ぬ前と死んだ後で、体重が減少するといわれる。

臨終の瞬間に体重が減るということは、魂に意思があるからこそ、肉体の死を認
識する。

魂は、死とともに肉体から出ていくという、意思決定をする。

霊魂は、意思を持ったエネルギー体である。

エネルギーがある存在は、質量もある。

霊魂は、目に見えず、この世の物質を簡単に通り抜けてしまう。

物質を構成する最小の単位の素粒子のようなものであると思われる。



たたり・祟り、呪い・のろい 不動明王の真言を唱え続け、他の音が耳にはいらな
いようにし、またおかしな考えが浮かんだり、聞こえたり、見えたりしないようする。

これを数カ月、1年、2年と続ける。

これこそ解決策である。

応急措置としては、恐怖を感じる場合は、照明をつけて寝る。

違う部屋で寝る。ふとんをかぶり寝るなど。

住環境が原因の場合、自身の精神的原因、その他原因不明の場合がある。

この世のことは、原因無くして、結果無しである。

なんらかの原因があるから結果が、物事がひきおこされている。

つまり、たたり・祟り、呪い・のろいが、原因ではなく、たたり・祟り、呪い・
のろいを感じてしまう自身の弱さなどに原因がある。

住環境などの物理的要因が原因でなければ、目に見えない物に対するには、
それ
を上回る次元を超えた超絶的力を持った目に見えない存在である仏さま
を信じることが解決策である。

不動明王の真言を数ヶ月、1年と唱え続け、不動明王におすがりすることである。



大日如来の宇宙と一体。不生不滅で宇宙へ戻る。

現代科学の一説として、似たような臨死体験の考えがある。

「人間の「意識」は極小物質である。

生きているときは脳内に「意識」は納まっている。

臨死状態となり、脳の機能が停止に近づくと、「意識」は、脳から外へ出る。

蘇生した場合は、再び、意識は脳に戻る。

臨死体験者が語る状態はこのとき体験である。

死亡すれば、「意識」は永遠に外部に存在し続ける。

肉体が滅んでも、意識は永遠に宇宙へ残り続けるか、あるいは他の生命体の脳に
「意識」が宿ることになるかもしれない。

臨死体験の経験に基づき、「意識」は脳が作り出すものではなく、脳の作用とは
別に存在する独立の存在であるという説もある。

我思う「意識」が、我の存在を認識するのであろうか。

科学的に考えれば、死ねば、脳も消滅し、意識もなくなる。

たとえば、熟睡しているときは死と同じで意識もなく、目覚めたときに意識が復
活し生き返ったということと同様である。

死は熟睡しているのと同様の状況が永遠に続く、意識不明の状態である。

臨死体験、死ぬ直前に見る夢は、脳が死に近いと確信したときに見るように脳の
仕組みとしてインプットされたものであるとする説もある。

脳が消滅すれば、テレビのスイッチを切ったときのように、プッツンと意識が途
切れ、無意識状態が、永遠に続くことになる。

所祈願成就は、僧侶の人的精神能力によるものが大きい。

真浄寺においては、科学で解明できないこと、僧侶の人的精神能力の結果である
というだけでは解明できないことがあり、仏さまと僧侶の力の相乗効果によることで
所祈願が成就すると考えます。

心霊写真と言われるものの中にも本当に不思議で科学で解明できないものがあり
ます。

真浄寺においては、一心に祈ることが、人生の流れに変化を及ぼすことに間違い
ないと考えます。

真浄寺においては、生きているときに即身成仏することだけを考え、人生を送る
こと、

人間と人間の関係を仏と仏の関係にすることが重要であると考えます。

真浄寺においては、死後の世界など、誰も、こういうものだと証明できない、解
明できないことに悩み、苦しむことはしてはいけない考えます。

真浄寺においては、そのようなことを考える時間があれば、仏の世界になじみ、
自分が仏になりきる日々の訓練をし、生きている現在の自分の日常生活を、極楽浄土
にすることこそ重要であると考えます。



仏教上は霊についてはかかわらない。

仏教上、生類は五蘊から成り立っておりこの五蘊の中に魂があるかどうかは説か
れていないので無いと考えることができる。

仏性のように五蘊とともにあるが見ることもできず必ずあるともないともいえな
いものがある。

修業しないと仏性は顕現しないが修行すれば必ず顕現するとも言えない。

いつ現れるかわからない仏性は科学的に検証することは困難だと思われます。

仏教の見地からはそれは脳の作用にすぎないと簡単に片付けられものではありま
せん。

いずれにしろ、事実上の見地からは、不思議な解明できないものは存在します。

霊とおぼしき不思議なものは実際に見た者でなければわからないことです。



現状、事実現象としてはある程度の確認ができても今日まで科学的に立証確認で
きていません。

しかし、大怪我をする所を間一髪の所で助かった、死後に故人を目撃した・故人
の声を聞いた、物音を聞いた、背筋がゾクッとした、怖くて電気をつけていないと寝
られない、人影を見た、まったく知らない人が眼前に現れ消えたなど、不思議な体験
は事実上はあります。

錯覚とは言えない事実もあります。

いつ、どこに現れるわからない霊魂、物質で構成されているとは思えない霊魂を
科学的、実験的に分析し証明することは困難です。

ところで心霊写真と言われるものの多くは、何らかの物理的原因によるものと考
えられます。

たとえば、左り手の上腕、二の腕あたりから下の腕が写っていないとか、着てい
る服の袖から下の腕が消えている、あるいは左足の腰から下が消えている、片手の指
の数6本ある、知らない人の顔が写っている、車や家のガラス越しに何か得体の知ら
ない物が写っているなど、原因はカメラ機器や撮影現場の環境、撮影位置、撮影方法
等による場合もあります。

しかし、どう考えてもカメラ機器、環境要因等が原因では考えられないものが写
っている場合があります。

原因不明だからといってそれが生類の死者の魂の表れ、生類の生存者の念の表れ
とは断定できません。

それは生類の死者の魂ではなく、妖怪といわれてきたもの、未確認生物、別次元
から来た者、宇宙人などかもしれません。

いずれにしろ原因不明の存在です。

心霊写真と言われるものは、まず物理的環境的原因で説明がつくものと、つかな
いものに仕分けできます。

物理的環境的原因で説明がつかないものを生類の死者の魂を原因として身体の
全部、または一部が表れている様なもの、あるいは生類の生存者の念の表れを原因と
して身体の全部、または一部が表れている様なものと、そうでないものに仕分けします。

これらをそれぞれじっくり見て、考えて、観察していくことになります。

心霊現象は3歳未満位までを限度にこの年齢までの子供は心が汚れておらず霊を
見ることが多いと思います。

成長するにつれ霊を見たことも忘れます。

子供も年齢を重ねるにつれ経験や知識がつき生まれた時の純粋さはなくなり、霊
を見ることが少なくなります。

心霊写真と呼ばれる写真にはどのような角度から見ても撮影機器の物理的原因や
撮影時の周囲の偶然性、シャッター速度、光、動作の流れ、被写体の姿勢その他を、
考慮しても、なぜそのようなものが写ったのか原因を解明することができない写真が
あります。

霊と断定できませんが不思議なものが写ったということは事実に相違ありません。

この世はあの世ともつながっていると思います。

この世の時間と空間はあの世とつながっていると思われます。

この世は、現実世界。

あの世は、未知の世界。

死んだことを認識していない故人、この世にやってきた魂が、写ったのかも知れ
ません。

その本当の正体は誰もわかりません。

不思議というだけです。

霊が出現する経緯、姿かたち、場所、音、動作、速さ、消えるなどから霊として
考えるのが一般人の人情です。

特定の場所、家、建物等で、心霊現象が一度発生すると、その場にいる限り、何
か恐ろしい感覚が自分の中につきまとい、忘れようと思っても、他の事を考えようと
気をそらそうとしても、一旦、自分の心にその心霊現象の記憶が執着すると離れるこ
とは困難です。

いわゆる地縛霊と言われるものが引き起こします。

夜は怖くて部屋の入り口の扉を閉め、照明をつけたまま眠ることになります。

変な物音が耳に入らないようにラジオをつけっぱなしにしたり、トイレに行くの
も怖くなります。

この地縛霊は、その場所に地縛霊がとどまっていた時間が長ければ長いほど、地
縛霊が成仏するまでの期間は長くなると思います。

慢性病のように時間をかけてなった病は、時間をかけないと中々直らないのと同
じです。

地縛霊と思われる不思議な現象については、体験した者でなければわかりません。

一度おさまったったと思われた心霊現象、心霊現象が無くなったと思ったのに、
又あの恐ろしい心霊現象、鳥肌が立つ心霊現象が、再発したと感じることがあります。

この現象は、あの恐ろしい、怖い心霊現象が記憶に焼き付いているためトラウマ
となり何かのきっかけで思い出してしまうのです。

心霊現象の恐怖は、心霊現象が無くなっても、長い時間をかけないと心から消え
ることはありません。

それだけ心霊現象が心に及ぼす影響は多大なのです。



このような写真は精巧にできています。

この写真は、何度見ても、重複露光・シャッタースピードなどのデジタルカメラ
やスマホの機械的物理的原因による症状、現象は見つかりません。

さらに撮影時の身体の動作もなく静止状態であったり、周囲の影響もない撮影で
、心霊現象が写っている場合があります。

物理的要因が発見されないにもかかわらず写真を良く観察すると霊的な雰囲気が
感じられない写真があります。

心霊現象が、写真に写ったり、見えたり、聞こえたり、あるいは目には見えない
何か、胸騒ぎ・恐怖を心に感じさせる、何とも言えない雰囲気が生じることがあります。

このような不思議で怖さを感じる現象は同じ場所に複数の人がいてもその中の特
定の人のみがそのような現象を感じることが多いです。

このため他の人に恐怖を説明しても理解してもらえないことになります。

まったく心霊現象とは不思議な現象です。

人間の持つ感覚機能が不思議な心霊現象を感じ取ります。

霊魂は何かを知らせたい場合に心霊現象を生じさせ娑婆世界に生きている人間に
知らせようとする場合があると言われます。

心霊現象なんてあり得ないと先入観にとらわれることなく、無視を決め込むこと
がないよう心がけたいものです。

心霊現象が何かを暗示しているのではないだろうか、何かを教えようとしている
のではないだろうかと考えることも必要です。



このような現象の目撃情報はひじょうに多いと思われます。

近所の人が死亡前に目撃したのを死後に見たと勘違いした場合やまだ死んだこと
を認識できない死者の意識が、人間の形となって現れたものとも考えられます。

死者が、毎日、散歩したり、買い物したり、通勤したりと、毎日の習慣となって
いた行動を死んだことを認識できない死者が行うということです。

魂は不滅です。

魂は生きかわり、死にかわりし、輪廻転生します。

人間は死んだらその魂は、次の輪廻転生に備え待機するか、あるいは魂となって
娑婆世界で守護霊になったりと、自分が魂となったことを認識した上で、この世をさ
まよい歩くことになると言う人がいます。

人間は成長するに伴い、教育、家族・友人等の人間関係・社会経験などの影響に
より心の曇りが濃くなっていきます。

心の曇りが少ない幼少の頃は、大人には聴こえない、見えないもの見える確立が
高くなります。

たいていの人は、子供の頃に大人の常識では考えられないものを見た経験がある
のではないでしょうか。

亡くなった人、幽霊、生霊、正体不明の人間・動物・植物・物体が見える場合が
あります。

幽霊は、夢か、幻か、現実か。

心身ともに正常に判断できる状態で幽霊らしきものが見えた場合は、それは夢
でも、幻でもない現実の可能性が高いと思います。

あの世の魂があの世から、この世に行き来することはできると思いますが、この
世の生きている人間が、この世とあの世を行き来することは、瞑想による心の中では
可能としても、現実の世界で、生きている人間の魂がこの世とあの世を行き来するこ
とは不可能に近いと思います。



デジタルカメラやスマホなど、カメラ自体の機械的な原因、撮影方法、撮影位置
、前に撮った写真が後に撮った写真に重なる多重露光・多重露出・二重写し撮り、手
ぶれ、スローシンクロ撮影等の原因が無く、原因解明ができない写真、一般に心霊
写真、恐怖写真と呼ばれる写真や動画があります。

通常、写るはずがない物が写ったり、写るはずの物が写らなかったという写真は
心霊写真と呼ばれます。

知らない人の顔が写っている、頭が写ってない、顔が写ってない、手が写ってな
い、足が写ってない、誰かの手が肩に写っている写真等、どう考えても原因が不明な
写真があります。

このような写真は心霊写真と呼ばれます。

この世には、魂・霊が至るところに存在していると思います。

従って、偶然、稀に、霊魂が写真に写ることはあると思います。

魂は何かを告げるために姿を現したり、あるいは姿を現さなくても人間の心にテ
レパシーのように何かを告げるため、何かを暗示するために話しかけてくることもあ
り得ます。

自分が死んだことが理解できず念が残り、魂がこの世にとどまり、いわゆる地縛
ことはあり得ると思います。

心霊写真、恐怖写真を持ち続けるということ自体、自分の心が心霊写真に執着し
ていることになるので執着を発するためには写真を消去した方が良いのです。

その写真を消去できない自分がいるということは自体、人間の煩悩である物に対
する執着心の現れです。

執着心が苦を生みます。

この世には科学では解明されていないこともあります。

心霊写真を持っていることで霊的悪影響だけではなく、その執着心が自分の意識
にも執着することで、不安感情、イライラなど、心的に悪影響を及ぼすこともありま
す。

心霊写真を撮影した場合、気になればお寺に相談し心霊写真を預かってもらうか
、消却をするかして対応した方が良いと思います。



カメラ自体の機械的原因、撮影方法、被写体の人の撮影時の動き、撮影者の動き
等により、心霊写真のような写真が撮れる場合があります。

その事例として、たとえば

①袖から下の片腕が、完全に消えて、まったく写っていない。

   

②手の指が、1本多く写っている。

③手・足が透けて写っている。後ろの背景も手足が透けているため写っている。

④手・足が、はつきりと、1本しか写っていない。

⑤首ら上、顔、頭が、写っていない。

⑥オーブと呼ばれる物が、空中に、無数に漂っている。

⑦グループ何人かで集合写真を撮ったら自分の肩に誰かの手が添えられている。

⑧写真を撮ったときにいなかった、見ず知らずの人が、写っていた。

⑨ぼやけた状態の顔が、写っていた。

⑩ガラス窓、鏡に、人の顔のようなものが写る。

⑪心霊写真かと、良く見ると、再度、撮影現場に行って、確認すると石像、植物
など実在する物体であった。幽霊の正体見たり枯れ尾花の如く。

⑫光の線が、多数、写る。



心霊現象を体験していなくても心霊現象を信ずるということと、心霊現象に遭遇
し、体験したので信ずるという場合では、同じ心霊現象を信ずるということでも信ず
るということの度合いが異なります。

心霊現象が存在するかどうかということは正気の状態で、自分の目と耳などの感
覚器官で確認し体験した者しかわかりません。

心霊現象は伝聞で聞いたり、書物を見たり、画像で見ても実際に体験しなければ
事実かどうか、真実かどうかは確認できません。

正気の状態で、確認した者、その人自身しか、事実を知らないわけであり、その
人が、他人に、体験した心霊現象を伝えても、伝えられた者は、事実かどうか、わか
らないのである。

この世の中に不思議なことがあることに間違いがない。

但し、それが心霊現象なのか、妖怪のような未確認生物なのか、異次元の生物な
のか、生霊なのか、正体を、確認することは困難である。



心霊現象の例として、ヒソヒソと人の話し声が聞こえたり、悪口を言われたり、
怒鳴られた気がする。

音がしたり、黒い影が見えたり、霊がソフアーに座っている。

窓から誰かがのぞいている、複数の霊が見える。

原因不明で、首が痛くなったり、肩が重くなったりする。

何も見えないが誰かがいる奇妙な雰囲気がする。

霊が付近にいる感じがして鳥肌が立つ。

何をやっても悪いことばかり続いたり、怪我や病気になる家族が続出する。

二階以上の階なのに窓から人がのぞく、何かをしていると大声で怒鳴られる。

室内の物をカタカタゆらす、階段を昇ってきたり、降りてきたりする足音がする。

玄関のドア、室内のドアが開いた音がするが行ってみると開いていない。

ドアが閉まる音がする、インターフオンが鳴るが行ってみると誰もいない。

このような事象を心霊現象として訴えられ方がいます。



先祖や親が人を殺し恨まれている、先祖の行為が原因で子孫を末代まで祟ってや
ると言われている。

このような話が親から子、子から孫へと代々と伝えられていく。

人間は、不幸が続いたり運が悪いと感ずることが多くなったり、あるいは心霊現
象が発生したりすると、何かの因縁・祟りではないかと考え、原因探しに奔走するこ
とになる。

心霊現象の原因を「自分の運命」、「自分自身の行動・考え方・意識」に求めるの
ではなく、祟り・因縁・他の人という、自分以外の他に原因があると決めてしまう
のが、人間の常です。

運命、霊のように、人の力では、どうにもならない不可解なことは、不可解な
所、祟り、因縁などに原因がないかと探してしまうのが人間です。



心霊写真が写る写真は、被写体が別人でも、心霊写真を撮る人は、同じというケ
ースが、多々ある。

心霊写真を多く撮る人は、不思議なことに、心霊写真以外に、通常では、その場
に存在するとは考えられない不思議な写真を撮ることがある。

どんな写真かというと、その場にいるはずがない外国人、明治時代以前の風体を
した人、動物園を除いて日本に存在するはずがない爬虫類や動物などである。

しかも、はっきり・くっきりと写っているのである。

本物でなければ、合成写真としか考えられないような明瞭な写真である。

二重写しでもない、撮影場所が静的場所であり、また付近の風景にも、一切該当する
ような物もない、カメラの機械的原因や撮り方、撮る位置関係でもない。

心霊写真ではないが、原因不明の不思議な写真が存在する。


心霊写真 除霊 お祓い 供養 処分 お焚き上げ

昔のアルバムや古い写真に霊が写っている。

古い写真、昔の写真をなつかしくなり見てみると当時は気がつかなかった、不思
議なもの、霊や解明できないものが見える場合があります。

たとえばプリントされた写真をよく見ると数枚の写真に赤い帯のような光が写っ
ていることがあります。

またオーブと言われる光の玉が写っている場合もあります。

オーブのような光の玉の色は、たいていの場合、白色、緑色、赤色、青色です。

オーブはすべて科学的に説明でき、心霊現象ではないとされる。

しかし、果たしてそうだろうか。

科学的に理屈がついたとしても、霊力により理屈がたまたま偶然つくような状況
になったのかもしれない。

その現象が心霊的なエネルギーにより引き起こされたものではないと断定できる
ものなのかどうか。

真実は誰にもわからない。

  

つまり、オーブのような光は、カメラレンズの表面についたホコリや水滴などの
異物が写真に写ったり、カメラの外から入った光が、内部のレンズと外側のレンズ
の関係で光が反射したり、カメラの外側の光を原因とした反射により写ったり、外の雨
粒やホコリに光りが反射して写るとされ、カメラの専門家が同じ現象を再現して見せ
て、霊的現象ではありませんと言っても、それは同じ現象をただ再現させただけであ
って、個別の事例についてはそれぞれに因縁があるため、その写真が心霊写真ではな
いという証明にはなりません。

またすべての事例のオーブ現象を再現できるわけもなく、再現不可能なケースが
あるとされます。

またそのオーブのような光自体が光源としてエネルギーを発している場合もある
かもしれません。

霊が存在したとしても、生じたものは消滅し、すべて諸行無常、諸法無我、仮の
存在にすぎない、とは言っても、実際問題として、得体の知れないものに恐怖し、悩
まされることは間違いなくあります。

ゾクッとする背筋が凍り付くような感じ、背中を向けると後ろから霊が来そうな
気配、霊が階段の下から上へ上がってくるような恐ろしさなど事実上そういうことは
あります。

寝るときも怖くて照明を消せないこともあります。



心霊写真 鑑定 お焚き上げ

知識不足と言われればそれまでですが、あらゆる視点からどう分析してみても、
写真を拡するなど見方を変えてみても、なぜそういうものが写っているのか原因がわ
からない写真があります。

この意味から言えば、心霊写真、霊的写真はあります。

論理的に原因はこういうことですと言われても、それは真実を証明したことには
なりません。

この世には証明できないこともあるのです。

つまり、霊はあるとも、ないとも言えないのです。

ある個人にとっては霊は身近に存在し、苦しめられているかもしれませんし、助
けられているかもしれません。

霊を信ずる者にとっては、霊は存在し、霊を信じない者には霊は存在しないとい
うことになります。

たいての人間の心底には得体の知れないものに対する恐怖心は潜在意識に存在し
ているのではないだろうか。

霊を信じないという者であっても、実際に夜中に廃ホテルの一室に一人で泊まる
ことができるであろうか。



心霊写真の鑑定、除霊、お祓い、お焚きあげ

心霊写真の鑑定は、科学的客観的に見て原因が、心霊現象以外のものなのかを判
断するには、ある程度のカメラ、撮影に関係する知識が必要となります。

過去の撮影履歴にもない写真、レンズの反射や汚れもない、ホコリもない。

フイルムに化学的変質や光が漏れて入った形跡もない。

シャッター速度、焦点、フラッシュ、レンズコーティング、カメラ内部の劣化、
破損等カメラの撮影方法や機材にも問題がない。

被写体、撮影者、共にの人為的な動作、息等にも原因がない。

撮影した場所の周囲の物体、液体、気体、天候、気候、温度にも原因がない。

周囲に動きがある微粒物質、液体、気体、物体もない。

光の変化、光源、影、等、まったく因果関係のあるものがない。

オーブのような光であっても、そのオーブ自体が光を発している発光源なのか、
あるいは光の反射により生じたものなのか

このようなことを検討した後、心霊写真かどうかを判断することになります。

心霊写真かもしれない写真の具体的な例としては、上述のようなことを検討した
が原因不明の写真で、撮影現場に存在しないものが写っているもの。

霊が集まりやすい場所はお寺です。

霊が、自分だけではなく、家族や関係者の霊、身体、遺骨、形見等を携えて供養
をしてもらいたくてお寺に現れます。

霊はそのお寺の僧侶が供養してくれるかどうかを選別し、施餓鬼供養、亡者供
養などの供養をしてくれる住職、僧侶がいるお寺に現れます。

この世のものとは思えない動物か人間かわからないようなものが写っている、
見たことがない人間が写っている、人間や生き物の身体の一部分写っている、誰が
見ても、見ただけで気持ちが悪くなる、ゾットする写真などは、心霊写真の可能性が
あるかもしれません。

 

心霊写真のお焚きあげ、鑑定、除霊、お祓い、

心霊写真は、写真を撮るときに、人間の目で姿を見ようと思えば見えたものだ
が、気がつかなかった霊が写った場合と、人間の目で姿が見えている状態で、写
真を撮ったものです。

科学的に立証できない写真だからといって心霊写真だと断定はできないが
、心霊写真ではないと否定することもできな。

科学的に立証できても心霊写真かもしれないし、科学的に立証できない写
真は心霊写真かもしれない。

第三者に対して、心霊写真が心霊現象によるものであると証明するこは不
可能なため、科学的には原因不明であるということを証拠の一つとするしかあ
りません。

この世には不思議なこと、謎という未知の領域が存在するのである。



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